Vol.89 高梨豊 ノスタルジア〜Canon Photo Festival

クリスマスツリー(品川)

今日は、品川のキャノンホールへ行った。途中のビルの中はもうクリスマス模様のイルミネーションでいっぱいだった。今年もあと1ヶ月半…早いものだなぁ。ホールでは、「都市へ」「町」「東京人」「地名論」など、写真による都市論をテーマに活躍している、高梨豊氏の「都市、エトセトラ。」というスライド&ライブトークが催されていた。サロンでは、木村伊兵衛の写真などのキャノンフォトコレクションも見てまわることができた。
「ノスタルジア」という新しい写真集の名前と、そのテーマにとても興味があり参加したのだけど、このタイトルはやはり「ひとつのある映像からヒントを得たものだ」と高梨氏から話を聞いて納得した。その映像は「普通に何十回見ても理解できないだろうと思われる」という言葉から、たぶん私の大好きなタルコフスキーの「ノスタルジア」に違いないと思ったのだ。
写真集の写真をスライドで見ながら、「詩的なものなので、口では多くを語らない」という表現を頻繁に使っていることから、今までの手法とは違うカラーによって、より現実を凝縮させたものを映し出したのだろう…。
白黒がよいというのは、写真をやっているひとであれば大多数が口にするけれど、それは「印象」をつくるのであって、カラーでリアルに切り取るほうが現実により近いのだ。それだからこそ白黒のほうがよく見えるのは理解できる。今回は、そのために細かいシチュエーションにまで気を使い、時間をかけたのだろう。カラーというもので、より現実を詩的に映し出すことにトライしたと言う。
ここのところ、写真集を発表する際などのトークイベントに参加する機会が多くあるけど、書店でただめくってみるのとは違い、作者が意図するところや裏話などを聞くことでより写真に印象が残るのは、とてもよいことだと思う。ただ通り過ぎるだけではなく、コミュニケーションによってインプットされることが多くあるからだ。(今年は、すでに大竹伸朗アラーキーなどの写真集のスライドや、ウィリアム・クラインの展覧会でキュレイターの説明などを聞く機会があった)
ある程度の表現を写真によってするには、時間というものはとても大切だと常々思う。例えば光や影の加減を思い通りに映し出すためには、自然の力には逆らえないために、待つ時間が必要になる。雲の流れ、光の差し加減、その他の目的による物質的なもの…。そして一番の瞬間を切り取る…。これができたらどんなによいかと写真を撮る人であれば誰でも考える。
今の私は、仕事や雑用に追われる毎日ながら機会あるごとに写真を撮っているけど、「写真を撮りに行く」という目的で出かけるのは、まず物理的に無理なのだ。いつもカメラをバックに入れておき、「これだ」と思った瞬間に手が空いていたらカメラを向けるしかできない。時には葛藤もあったりして…もう少し時間がとれたら…これが晴れの日だったら…もうすこし雲が少なかったら…と。
そして、今はその時の瞬間しか切り取れないので、空の青がきれいだったり、街の光の反射や雲の模様がおもしろければそれでラッキーなのだ。それでも心の余裕だけは保ちたいと思っている。時間をかけてタイミングを見定め、ゆっくりじっくり撮った写真のほうが、いろいろな意味で表現力が強いということはわかっている。それができるのはいつの日か…と考える。それでも写真で撮るということは続けたい…一つの場面を切り取るということはその人の美的な感性が動く部分であり、カメラ操作の技術がどんなに向上しても、それが突然すばらしくなるなんてことはないはずだ。
今日のライブトークなどもやはり会場は年配の男性が大多数のように感じた。それぞれの生活の中でより時間を使える世代なのかなともちょっと思う。