Vol.153 杉本博司の仕事 1975-2005 - 時間の終わり 〜 森美術館

Vol.153 時間の終わり−杉本博司の仕事

六本木の森美術館で、杉本博司氏の作品展(2006年1月9日まで)が開催されている。杉本博司氏は1974年よりニューヨークに移住し、海外で活躍しているアーティストで、雑誌のBrutusの先月号では数ページに渡って「杉本博司を知っていますか?」という特集が組まれていた。
・Conceptual Forms「観念の形」
会場を入るとすぐに、その空間を仕切るように天井まである白い壁が続いている。ひとつの壁を通り過ぎ振り向くと、その壁の裏に漆黒の背景に数学の法則を立体化したという数理模型や機構模型が、モノクロームで表現され何枚も並んでいた … ふり返り、次々に眺めていくうちに後ずさりして一番奥の壁のところまで歩いていきたくなった。そして角度を変えてもう一度ふり返る。それらの並び方や光と遠近感。不思議な感覚で何度も違う角度で眺めることを試みる。
・Diorama「ジオラマ
米国の自然史博物館で大型カメラで写したジオラマたちは、見る人をタイムスリップさせるようなインパクトがあり、やがて謎が浮かんでくる。「これは絵じゃないよね? でも写真であるわけないし?」
古代350万年前の類人猿たちや生物がカメラの前にいるように写しだされているのだ。
時間という観念が全くリセットされてしまう。
杉本氏「どんな虚像でも、一度写真に撮ってしまえば、実像になるのだ。」
・「仏の海」
京都の妙法院三十三間堂の千体仏…思い浮かべるだけで迫力を感じるが、観音像がぎっしり並ぶあの場所で24時間カメラを回し続ける発想がすごい。撮影の許可を得るには数年の歳月を費やしたというが、自然の光以外のものを排除し撮影された。800年ほど前に作られた木造の観音像たちは、重要文化財にも指定されていて、すべて顔立ちが異なるといわれている。
千一体の十一面千手千眼観世音菩薩。
千一体、十一面、千手千眼、これらすべてに意味があるという。
数々の祈りが充満しているその場所は、私も何度か訪れたことがあり思い入れがある所。並んでいる観音像そのものがインスタレーションとも言える。いろいろなことを考えながら、絵巻物を広げたような20メートル程に繋げられた作品とスクリーンに映し出された千体仏をぼんやりと見ていた。
・Seascapes「海景」
世界中の海で、空と水平線で二分させた風景だけを撮った作品。杉本氏の「原始人の見ていた風景を現代人も同じように見ることは可能か」という自問自答から始まったという。古代も今も「海」にあるのは水と空気という事実に変わりはない。少しぼやけた焦点を見ていると、視覚で感じる動きは揺らいでいるというよりもゆっくりとただよう速度になり、空気の中にぼんやりとした蜃気楼でもあるかのような錯覚を覚える。
写真を照らすわずかな照明だけの中、20枚の作品が並ぶとともに檜の香りが漂う。作品の前には能舞台がしつらえられ、今夜もこの場所で現代能が上演されるのだ。海に囲まれた絶海の孤島と化した舞台という設定で、観世銕之丞(老人)、浅見真州(鷹姫)、野村萬斎(空賦麟)により演じられる特別公演「鷹姫」。「時間」という共通テーマを持つためとはいえ何とも粋な演出だ。

・Theaters「劇場」
映画館や野外のシアターのスクリーン上の光だけで長時間露光した「劇場」シリーズは、上映している時間、ずっとシャッターを開いた状態で撮った写真たちだ。中央に白いスクリーンだけが浮かびあがるように見える作品…これを見た人たちは、そこに何を想うのだろう。それぞれの想いや物語…限りなくクリエイティブな思考が働く。
・Portraits「ポートレート
マダムタッソー蝋人形館にある偉人の実物大蝋人形を撮影したシリーズ。16世紀のヘンリー八世とその妻たち…等身大モノクロ写真の中それぞれの表情はとてもリアルだ。
「これは本物??…であるはずがないよね??」
そう、時代を考えてもあるはずがない。虚実の狭間に翻弄される部屋。以前、東京都写真美術館で見たウィリアム・クラインの「マリア・ルイーザとナポレオン」を見た時もそういう感覚だったが、この作品たちは何度見ても作り物だということが納得できないのだ。その顔たちはカメラの前でポーズをとり蘇えっていた。
・Architecture「建築」
今回の展示最後は、20世紀の代表的な建築を無限大の倍の焦点で撮影したシリーズ
巨大なモノクロプリントには、世界の代表的な建築物が大ボケで表現されていてスペースいっぱいに並ぶ。ピントを外すことによって、逆に建築家が建物を作る前の想像上のイメージを再構築しようとする試みで「本物の建築だけが、溶け残って写る」という。
杉本氏は、瀬戸内海にある直島というところの護王神社再建プロジェクトの設計にも携わっている。その縮小模型と写真を組み合わせた展示もあった。拝殿の地下の古墳の石室から、本殿へとつづいている光学ガラスの繊細な階段はとても興味深かった。
それにしても今回の展覧会は、今までの写真展とは違った感覚で魅せられた。人間の心の奥底に眠っているクリエイティブな思考をひっぱりだしてくる。これだけの規模の場所でこその構成も見事である。「視覚」という点では、見るという以上に感性を研ぎ澄まし、時間をかけてゆっくりといろいろな角度から眺めてみるべき場であった。

杉本博司 著書
Conceptual Forms 苔のむすまで Portraits (Guggenheim Museum Publications) 歴史の歴史
・Conceptual Forms ・苔のむすまで ・Portraits ・歴史の歴史
Time Exposed Hiroshi Sugimoto Architecture
・Time Exposed ・Hiroshi Sugimoto ・Architecture

展覧会概要より
1975年から2005年に制作された杉本の代表的なシリーズが初めて一堂に会する回顧展です。森美術館で開催の後、ワシントンDCのハーシュホーン美術館・彫刻庭園ほかに巡回します。 現実と虚像の間を視覚が往来する《ジオラマ》や《ポートレート》、映画1本分の長時間露光による《劇場》、世界中の水平線を撮り続ける《海景》から、20世紀の代表的な建築を無限大の倍の焦点で撮影した《建築》、最近作の《影の色》、《観念の形》まで、新作・未発表作品を含む約100点を総覧いただけます。また、写真や光から派生して、近年は建築空間にも強い関心を持つ杉本は《護王神社―アプロプリエイト・プロポーション》、《影の色》で被写体となる空間を自らデザインしたように、本展全体の展示デザインも手掛けています。 会期中《海景》を展示する漆黒の空間には、能舞台が配置され、杉本舞台美術による能公演も予定。